須堂さくら 作
店は普通どおりに開けた。リアに言わせれば「義父さんひとりのために今日の売り上げをふいには出来ないわよ」ということらしい。
「すいません。色々手伝って貰っちゃって」
「いいえ。…次は何をしましょうか」
「ある程度やってもらうことは終わっちゃったわねぇ…。ちょうど茜ちゃんも来たし、若菜、一緒にお昼 でも作っておいで。どうせ今日はお昼には閉めなくちゃならないだろうからね」
それじゃあ、と二人は台所に入る。
「…ずっと奥にいて息苦しくないですか?」
彼は軍の元暗殺者である。今ではそうと知っているものは少なくない。意味もなく声をかけたり、あるいは避けて行ってしまう者がいるので、奥にいてもらうしかなくなったのだ。
「…いいえ。勉強になります」
「そうですか…あの、時雨君って、料理は出来るんですか?」
何しろ家に冷蔵庫すらないという、若菜にとっては考えられない生活をしているのだ。最近はここで食事をしているが、それ以前のことについては、料理をしているかどうかすら疑問に思う。
案の定、彼は首を傾げて、言った。
「したことはありません」
「…だと思いました」
本当に、以前の彼の食生活が気になる。
呆れて息を吐き、材料を取り出す。
やり方はある程度知っていると言う彼と、たまにあたふたしながら料理を済ませたお昼頃、祖父はやってきた。
「おぉ、若菜、久しぶりだなぁ。元気でやっとったか?」
「はい。久しぶりですね、お祖父ちゃん」
ほくほくと笑って、彼は目を細める。
「それで、こっちの色男が若菜の彼氏と言うやつかい?」
「い、色…。えぇと、あの、時雨君といいます」
時雨は会釈して、まじまじと見つめてくる老人の瞳をじっと見つめ返した。
「はっは、いい目をしとるな。わしは白緋だ。孫をよろしく頼むぞ」
「お、お祖父ちゃん?」
「……はい」
「時雨君まで…」
顔を赤くする孫を楽しそうに見やって、彼はさも今思い出したことのように言う。
「そう言えば、今日は若菜に会いたいと言う人を連れてきているんだよ」
「私にですか?」
あぁ、まだ客がいたのか、道理で伯母の姿が見えないはずだ。などと思う若菜を見て、白緋はニヤ、と笑った。まるでいたずらを思いついた子供のように。
「ほら、入っておいで」
「…はぁい」
入ってきた人影を見て、若菜は目を見開く。
「…どうして」
彼女の姿を認めて、その女性はふわ、と笑った。
若菜のそれと似た微笑。
「やっぱりそうだわ。…あなた、私に会いに来てくれたでしょう?」
ニコニコと笑って、彼女は視線を時雨へとずらす。
「あなたも、一緒にいたわよね?」
それからそっと目を伏せた。二人は何も言えない。
「ごめんなさいね。若菜。…あなたにはずいぶん心配をかけたって…」
「…お母さん」
信じられない、というように呟いた若菜に、彼女は悲しげに笑う。
「母親なのに、ずっと一緒にいてあげられなくって、ごめんなさいね。あの人が死んで、私、おかしくなってたのね」
「…いいえ、いいえ。私は…」
ぱたぽたと、堪え切れなくなった涙が若菜の頬を伝って落ちた。
それをちらりと見て、時雨は彼女の肩に手を置いた。
はっとした様に顔を上げる若菜と、ほんの少し視線が交わる。
「…あの時、見ていたんですか」
「え?…えぇ、一瞬だけどね。…最初は目の錯覚だと思ったの。本当に一瞬だけだったから。―――でも、思い出しちゃったのよ。小さな子供と笑いあってたのを」
それからは、糸を手繰るのよりも簡単だった。
愛し合ったただひとりの人を失ったこと。全てを忘れてしまったこと。そして、大事な子供がおそらく一人で決断した、ひとつの選択。
「来てくれなかったら、きっと一生忘れたままだったわ。ありがとう。若菜」
「お母さん…!」
そっと、背中を押される感覚のまま、若菜は母親にしがみついた。
ちょっと間が開きました。
えーと次で終われるはずです。