須堂さくら 作
「あ、時雨さん、こんにちは」
「…こんにちは」
店の前で、時雨を見つけて微笑んだ彼女に、心なしか驚いたように見える表情で、彼はやってきた。若菜の前に立つと、じっと彼女を見つめる。
「…さて、じゃあ行きましょうか」
「…どこへですか」
「ゆっくりできる場所にです」
昨日頭に入れた地図を思い出しながら歩き出すと、彼は横についてくる。その足音が全くしないのに、少しだけ驚いた。さすがは暗殺者、とでも言うのだろうか。
何だか奇妙な視線を感じて彼を向くと、彼はじっと若菜の持つバスケットに視線をやっていて、何だろうかと思う。
「これは、お弁当ですけど」
「…はい」
何に対する返事なのだろうかと、若菜はキョトンとする。ちらりとその顔を見やって、彼はその手からバスケットを取り上げた。
「…あ」
思わず声を洩らすと、じっと彼が見つめてきて、若菜はほんの少し顔を赤くする。
「…ありがとうございます」
「いいえ」
高台に出る。人の影がないのに安堵して、若菜は時雨の持ってくれていたバスケットからビニールシートを出して広げた。
「あの、座ってください…あ、靴は脱いで」
広げられたシートに、じっと視線を送る時雨に声をかけ、自分もそこに腰を下ろす。
バスケットを置いてもらって中から弁当箱を取り出すと、彼に手渡す。
しばらく、無言の食事が続いた。
「…あの、聞いてもいいですか?」
ある程度食事が進んだ所で、若菜は意を決して、時雨に問いかける。
「…何ですか」
「あの、時雨さんって、軍の、暗殺者、なんですか?」
「…昔は」
「やっぱり、そうなんですか」
昨日、夕方あたりに紅葉が持ってきた情報。
軍に雇われた、暗殺者。その腕は、中でも群を抜いていたらしい。
「どうして、辞めたんですか?」
今でも充分にやっていける、腕は落ちてないみたいだから気をつけてね、と最後に紅葉は言った。でも、それならば、何故。
「……染まりすぎたからです」
「え?」
思わず聞き返す。良く意味が分からない。
けれど彼は、それ以上のことを言おうとしなかった。
仕方なく若菜は質問を変える。
「…私に興味があるって言いましたよね?」
「はい」
「…どうして、ですか?」
「…洗い流してくれると思ったからです」
「何を?」
「…僕を」
いまいち的を射ない答えに、若菜は首を傾げた。
「…あなたは」
ぽつりと、彼が呟いて、驚いて若菜は顔を上げる。
「…綺麗だから」
「えっ…」
思いがけない言葉に、若菜の頬が赤く染まる。
次の言葉を待ったけれど、彼は口を閉じてしまって。
どうしたらいいか分からなくなって、若菜も黙ってしまった。
「…そういえば」
片付けようと、ビニールシートを畳んでもらい、バスケットの中を整理しながら若菜は言った。少し気になっていたことだ。
「今、仕事は何をやってるんですか?」
朝から昼まで、ずっと店にいるなんて。
「…あまり、変わりません。…夜中に、いつも」
「じゃあ」
意味がないのじゃないかと、言おうとしてやめた。さすがにそれは失礼だ。
変わりに、呟いてみる。
「辛いんじゃ、ないですか」
はっと、彼が顔を上げた。
「…どうして」
「え?何が…ですか?」
「……いいえ」
その後、彼はずっと黙ったきりで、ほんの少し気まずい。
「…僕は、これで」
「え?あぁ、はい」
いつの間にか家についていたらしい。時雨の声に驚いて顔を上げると、彼は無表情のままバスケットを手渡してくる。
「…ご馳走様でした」
「いいえ、また、明日」
いつの間にか習慣になってしまった言葉を半ば呆然としながら呟く。
スッと消えるようにいなくなる彼を見つめて、若菜は家に入った。
自然な気配りができる人って憧れます(どうやら落ち着いたらしい)
いやー、私なんでも一々考えないと行動できない人間なんで。