須堂さくら 作
小春は、電話口の時雨の声を不思議に思った。
「あ、時雨くん?ごめんね、明日突然仕事が入ったから。久しぶりのあっちのお仕事。最近なかったのにね」
『…そうですね』
「詳しくは明日いつも通りに、だって」
『…分かりました』
「…ね、何かあったの?」
思い切って聞いてみれば、彼は無言で、小春はそれを不思議に思う。
「…あ、そういえば、今日から若菜ちゃんがいるんだっけ。今一緒?」
『いいえ、お風呂に…。あの、小春さん』
時雨の声は、明らかに困っているものだった。
珍しい、これだけ感情が見えるなんて。
よほど困っているのだろうな、と、小春は時雨の話を聞きながら頭の隅で考える。
「そっか、ベッドを…うーん、そうだねぇ…」
おそらく返事を待っているのだろう、無言の彼に、明るく小春は言った。
「あ、そうだ。…時雨くんの所確かベッド結構大きかったよね。ダブルに近い感じ」
『…分かりませんが』
「うん、確かそうだった。…じゃあ一緒に寝たらいいんじゃないかな?」
『…………』
絶句しているらしい彼を気にもせず、小春は続ける。
「私もね、紅葉くんといっしょにお昼寝とかするの、あったかくって幸せになるんだぁ。いっしょって素敵だよ?」
『……そうですか…』
「うん」
じゃ、バイバイ、と電話を切って、小春はくすくすと笑った。
後でどうしたか聞かなくちゃ、と思う。
切れた電話を意味もなく見つめて、彼は息を吐いた。
どうしたものか。
彼女がああ言えば、おそらく自分を床に寝かせることなんてしないだろう。
そう言う頑ななところが彼女にはある。
けれど自分だって、それを肯定することなんてできない。
昔はしなかったそんな考え方に、彼は困惑した。
「どうしたんですか?」
逡巡していると、後ろから声がかけられて、彼は内心飛び上がるほど驚く。
「電話してたんですか?」
「…仕事の」
振り返れば、不思議そうにこちらを見る若菜と目が合った。
彼女は濡れた髪を無造作に纏めていて、妖艶と言うのがよいほど。
半ば呆然と彼女を見つめた時雨に、彼女は頬を染めた。
「…あの、時雨君?…仕事が、入ったんですか?」
「…はい、明日」
「明日…ですか。夜の?」
こくりと頷くと、若菜は目を伏せる。
「そうですか…」
寂しげなその姿に、思わず時雨は彼女の手を取った。
「え?」
驚いたように若菜は彼を見る。
「…一緒に…」
「…あ、あの…」
「今日は、一緒にいて下さい」
「一緒にいるって、あの、でも一緒………そ、それって…つまり…」
じっと見つめる瞳に、顔を真っ赤にした。
「一緒にって…でも」
「…幸せになるんだそうです」
「し、幸せ、ですか」
確実に電話の相手は小春だ。なんてことを言ってくれたのだろう。
「…あの…」
「…嫌ならば、床で寝ます」
「っ…」
意外と、強情だ。
先程の彼と似通ったことを思って、若菜は息をついた。
「…今日、だけですよ?」
「あの…」
意外と大きなベッドの中、どうしてだか時雨に抱かれるような格好で彼女は彼に呟いた。
「明日は…」
口に出して不安になる。
じっと彼はそれを見やって、静かに言った。
「…大丈夫です」
身じろいた若菜は、動きの無いような静かな瞳と視線を合わせる。
そっと、彼の頬に触れて、言った。
「私は、ずっと待っていますから」
これからどれだけ不安な日を過ごすだろう。
これまで以上に、側にいられないのを悲しく思うのだろう。
けれど、大丈夫だ。
悲しみも、不安も、喜びも全てを分け合って
二人で生きていくのだから。
そう、決めたのだから。
2006/07/24 公開