須堂さくら 作
浮かぶのは、いつも決まって、あなたの微笑みだけだから。
買い物を済ませ外へ出ると、雨が降っていた。
思わず立ち止まって、はっと後ろに気がついてほんの少し横にずれる。
それから、空を見上げた。
「あ…」
洗い物の途中、ふと顔を上げて雨に気付く。
いつの間に降りだしていたのだろう、空を見上げて、すぐ止むような雨ではないと確認した。
それから急いで洗い物を済ませ、パタパタと食事室を出る。
玄関でほんの少し考え込むと、傘を取って出ていった。
周りには同じように突然の雨に立ち往生している人達がいて、空を見上げたり、また店に戻ったりしている。
そんな人達をぼんやりと見つめながら、時雨はやっぱりぼんやり思った。
手の届きそうで、決して届かない、彼女のことを。
―――彼女はいつも微笑みを絶やさない。
彼女の辛そうな顔を見たのは、あの辛い日だけだったように思う。
いつだって柔らかく微笑んでくれて、それが自分にとって、確かに救いになっている。
だからこそ、彼女の微笑みを守りたいと思うのだ。
歩きながら何となく考える。
雨が降ると、いつも辛そうにしている彼を。
こうしている今も、もしかしたら辛いことを考えているのかもしれない。
―――できるなら、笑ってほしい。
彼はめったに笑うことがなくて、よく見るのは困ったような顔ばかり。
本当は、誰より優しい笑顔のその人の、だから辛い顔なんて見たくない。
辛い思いを、なくしてしまうことなんてできないと知っているけれど。
守りたいと願うのは、彼の心だろうか。
ふと、呼ばれた気がして顔をあげ、誰もいないのに苦笑する。
どうしたって自分は、彼女を探してしまうから。
それが、彼女にとってどういう意味を持つのかなんて分からない。
店に近付いて来て、小さく彼の名前を呼んでみる。
決して届かないその声に、込められたのは希望。
自分でも気付かない程の、小さな心。
ぼんやりとたたずむ彼を見つけて、若菜は無意識に歩調を早めた。
その気配を感じたのか、彼は顔を上げる。
自然、目が合って、彼女はふんわり、微笑んだ。
「若菜さん…」
思わず時雨は声を洩らす。
にっこりと笑った彼女は、ガサガサとビニール袋を取り出した。
紙袋をこれに入れろということだろう。
「どうぞ。…私はちょっとこれを配ってきますから」
そう言った彼女の腕には数本の傘。
もう一度微笑んだ彼女は、くるりと彼に背を向ける。
立ち往生していた人達に傘が渡されていって、人々の群れはばらけていった。
人々の姿が消えてしまって、若菜は時雨の所に帰ってきて困ったように笑った。
「ちょっと足りませんでしたね」
彼女の手に残ったのは、自分のさしてきた傘がひとつだけ。
「狭いと思いますけど、我慢してくださいね」
「あ…持ちます」
自分より背の低い彼女が傘を持つのは大変だろうだろうと思ってそう声をかけると、彼女はにっこりと笑う。
「お願いします。…それじゃあ私が荷物を持ちましょうか」
「ですが…」
「濡れちゃ困りますからね」
手を差し出して彼女は言い、時雨はその手に荷物を渡した。
そのまま若菜はくるりと歩き出して、慌てて彼は彼女を追いかける。
離れないように気をつけて歩くと、どうしたって身体が当たってしまう。
それが嫌なんじゃないだろうかなんてこっそり思って、だけど聞いたって意味がないのは分かっている。
ふわふわと柔らかく触れてくる彼女の身体は、見た目以上に軽くて細い。
何となく頼りない彼女の身体を、少しだけ不安に思った。
…守れるのなら、守らせてくれるのなら、守りたい。
「…若菜さん」
口をついて出た言葉に、意味なんてなくて。でも彼女は振り返る代わりに近寄ってきた。
「何ですか?」
柔らかい声をほんの少しくすぐったく思いながら時雨は微笑む。
「…いいえ、ただの独り言です」
誓いは、心の中で。
2005/01/30 公開
実はちょっと昔の作品です。
しかも2作品分。
その頃からお題を知ってた自分にちょっと驚きですが。
HP用に書き換えるとき、いやこれはひとつでいいだろうよ…。
とか思ってくっつけてみました。
最初は視点毎に別に書いてたんです。
あはははお題2個分。
くっつけてもそれなりに良さげだよ。きっと。