須堂さくら 作
ガキィン!と、剣が固いものにぶつかる様な音がして、茜ははっと意識を浮上させた。座り込んだ彼女の目の前には男が立っていて、剣と鞘の両方で、大型モンスターの爪を受け止めていた。
一瞬振り返る様な動きを見せた彼が、足に力を入れたのが分かる。
「文句は後で聞く」
言うが早いか上がった足に蹴飛ばされ、茜は地面をゴロゴロと転がった。
―――今、あたし、何してた?
辛うじて受け身を取りながら、茜は心底混乱していた。
森の奥に棲みついていたらしい大型のモンスターが、餌を求めてか、人の通る道に現れ、人間を襲うようになった。というのが、今回の討伐依頼の概要だった。
味を占めたか棲み処を移動したか、被害に遭う者たちが日に日に増えたため、依頼が出されていたのだった。
人が通らなくなったことで消えかけていた道を辿り、爪痕や足跡を辿って行きついた先に、それはいた。
灰白色の太い毛に覆われた四足歩行の獣。大きな体躯を持つ割に動きは繊細で、器用に木々の間を抜けながら、こちらに―――獲物と見定めた人間に、向かって来ていた。
いつも通りに真っ先に飛び出して、拳を握りしめてモンスターと目を合わせた瞬間、茜は奇妙な感覚に包み込まれた。しまった、と思う間もなくその感覚は全身に広がってそして―――――。
ぽすんと体が受け止められる。
振り返ると、モンスターに目を向けている若菜が見えて、茜の視線に気づいて微笑んだ。
「茜さん、私が分かりますね?」
「若菜…。あたし、どうしてた?」
「あのモンスターを見た瞬間、様子がおかしくなって、ふらふら無防備に近づいて行かれたんですが。…もう大丈夫そうですね」
「うん、何か、すごく…幸せな夢を見せられてたような」
眉を下げた若菜が、茜の肩をポンと叩いて立ち上がる。つられて立ち上がった茜は、再度モンスターに目を向けかけ、横からの手に遮られた。
「見ないほうがいいです。繋がりを作られていたら、同じ状態になってしまうかもしれないので」
茜さんは一回休みです。と微笑んで、若菜は茜の視線を遮る位置に立つ。
可能性を全く否定できなかったので、茜はくるりと背を向けて、若菜の背中を守る様な形で立った。
背後で戦闘音が続く。
パンと高く響くのは、時雨の銃の音。トスッと響くのは、小春の矢が突き立つ音だろう。時折ヒュッと風を切る音も聞こえる。背中から聞こえるのは、静かに澄んだ若菜の声。トン、と杖を地面に突き立てる音の後にモンスターの悲鳴が響く。
剣の音は二つ。両手持ちで体重の乗った紅葉の剣は、ドシュッと重く、刺さるような音に近い。間を縫ってズバンと響いたのは飛鳥の剣だろう。型なんて無いような動きのくせに、上手い具合に敵を傷つけていくのだ。
適当に見えて力強いあの手が…。と考えて、茜は自分の顔に熱が集まるのを感じた。
妙に心臓が跳ねた気がして、服の胸元をぎゅっと握りしめる。
―――――あの、幻。
えらく幸せな夢の中、自分は何か、暖かなものに包まれていた気がする。多幸感に包まれて、そのまま目を閉じて、全てを任せてしまいたいような、そんな心地になっていた。――そこにどうして、飛鳥の顔が浮かんでしまったのだろう。
力強く敵を屠るあの手が、存外優しいことを知っている。知っているけれど、だからといって。
「茜さん」
背後からの声に我に返る。若菜が心配そうにこちらを見ていて、いつの間にか戦闘が終わっていることに気がついた。
そういえば、先程一際大きな叫び声を聞いた気もする。
「大丈夫。悪かったわね、手が出せなくて」
そう言えば、若菜はにこりと微笑んで見せた。
「いいえ、後ろを守って頂いて、心強かったですよ」
「何にも現れなかったけどね」
モンスターのいた辺りに視線をやると、後始末をしていた飛鳥と目が合う。
一瞬ぎょっとした表情になった茜に何を思ったか、飛鳥は彼女の方に近づいてきた。
「悪かったな。怪我は?」
「え……あ、あぁ平気、受け身は、取ったし」
「いや、当たったとこ。加減できなかったし」
「あ、そっち…うん。そっちも問題ないわ。あたしもそんなに柔なつくりはしてないし」
そうか、と応えた飛鳥に、そんなことより、と続けながら、茜は再び顔が赤くなるのを感じていた。
―――普段、どう話してたっけ。
「ありがとね。何か変になってたみたいだし。死ぬとこだったわ、助かった」
ん。と頷きながらこちらを見る飛鳥の顔が、しっかり見られなくて、茜は視線を僅かに逸らす。
―――あたし、まだ、大分変みたいだわ。
「ちょっと顔赤いよな。まだ何か残ってたりすんのか?」
茜の顔を覗き込みながら言った飛鳥が、若菜に声をかけ、若菜が横から覗き込んできた。
「……おそらくもう、問題はないので、余韻、ですかね」
「余韻?」
「気持ちが元に戻るには、少し時間がかかりますから」
飛鳥が納得の声を上げるのを聞きながら、茜はますます顔が赤くなるのを感じる。何というか、感情に浸ってしまっているようで、すごく、恥ずかしい。
顔を覆ってしまった茜の頭に、ぽふんと手のひらが乗った。
「まー焦んなくていいからさ、ゆっくり休んでろよ」
その手は、存外―――――。
「っ…」
叫びだしたい気持ちをこらえて頷くと、飛鳥の手が柔らかく離される。
そのまま始末に戻っていく彼を覆った指の隙間から眺めながら、茜は声にならない叫びをあげた。
―――多分、きっと、おそらくは。
あたしの、幸福は―――――。
2022/05/29 公開
ものすごく久し振りの新ドリ。本家ばっかり書いていたせいで、キャラがあっちに引きずられている気がする。